三國万里子さんの本を読みました。

三國万里子 『編めば編むほどわたしはわたしになっていった』 | 新潮社
「書く」ことは「編む」ことと似ている――。学校になじめなかった自分と父との関係、おもしろいことが大好きだった母、人生の道標となった叔父のこと、アルバイト先で出会った夫との恋。傷つきながらも一歩ずつ進み、ニットデザイナーと

 

通勤電車に乗らなくなってから、本当に小説を読まなくなりました。

家で小説を読んでもいいのですが、読み始めると最後まで読まないと気が済まなくて、徹夜してしまうのでそれが怖くて読めません。

最近買った本は、PINK HOUSE 50周年の本、アフガン編みの本など読まない本ばかりです。

改訂版 アフガン編みのこもの | 本の情報 | ブティック社
「改訂版 アフガン編みのこもの」の書籍情報ページです。 | ブティック社はソーイング、ニット、手芸、料理、園芸、ネイル、ビーズ、児童書、住まいなど、ハンドメイドや手作りに関する実用書の出版社です。

この「編めば編むほどわたしはわたしになっていった」ももちろんその日に読み終えました。

 

「学校に馴染めずに休み時間にアリを眺めていた」という紹介の文言をどこかで見て、この本読んでみたいと思ったのでした。

私は学校が割と好きで友達も多かったのですが、授業中はいつも外を眺めていました。

三國さんのアリは私の空と同じだったのかもしれません。

それとも、うちの子供は学校が苦手だったので興味が湧いたのかもしれません。

 

三國さんが別の教室に逃れていた話は、うちの子供のことを遠くから見ているようでした。

実際はそれぞれの理由があるので、違う光景なのでしょうけれども。

 

読み終わって。

「編めば編むほどわたしはわたしになっていった」というタイトルなのですが、この本を読んで「読めば読むほどわたしはわたしになっていった」のが素直な感想です。

いや、もう冗談ではなくて本当にそうでした。

文字を追いかけながら、三國さんのことを想像しながら、私は自分をずっと振り返っていました。

小さい頃のこと、小学生の頃、中学生の頃、高校生、社会に出て、編み物をするようになって。

父のこと、母のこと、おじのこと。

ずっと、三國さんとは違う、三国さんとは違うなと繰り返し思いました。

そして、わたしはわたしだけの人生を歩いてきたなと思いました。

こういう感覚は初めてで、不思議な感じでした。

例えば誰かと同じ場所で同じ経験をしたところで、見えていることはみんな違うし、その同じ経験が同じ影響をその人に与えるわけではありません。

三國さんは三國さんの経験があってあのニットができるわけで、私は私の積み重ねがあってわたしのデザインが出来上がるんだなって思いました。

なんだか急に、自分の周りから何もかもがなくなって、一人でスッキリと立っているような清々しい気持ちでした。

→2へ続く

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